詠帰亭
HOME 詠帰亭とは 客室 お風呂 お料理 アクセスマップ
詠帰亭とは
旅館としてよみがえる堀切邸別邸「詠帰亭」
「詠帰亭(えいきてい)」は、白河藩主・松平定信が名付けた堀切邸の別邸。1800年(寛政12年)に、白河藩分領だった飯坂を訪れ、当時の大庄量・8代堀切兵衛宅に滞在した折に命名された。定信直筆の扁額も現存している。現在の建物は大正初期に建てられ、約2700平方メートルの敷地にある木造建築物。堀切家別宅の後、戦後から企業の保養所として利用されていたが、2006年1月に温泉旅館としてリニューアルOPENした。
にぎやかな通りから離れ、摺上川と赤川の瀬音の静かなせせらぎが聞える「詠帰亭」。日常を忘れ、自然の懐に抱かれる心地よさが味わえる。野趣あふれる巨木が立ち並ぶ庭の眺めと、掛け流し温泉の詠帰亭へ・・・れる。
写真
福島と近代日本が支える名を残す堀切家の人々
写真 堀切家は1578年(天正6)、初代が福井県から飯坂に移住したしたのが始まり。土地開墾や水利事業を行った他、酒造業、質屋、塩、漆、米の仲介業などを営んできた旧家である。豪農・豪商として代々飯坂の発展に寄与してきた。近代になると、経済界とともに政界にも進出。多くの名士を輩出した。14代良平は町会議員を経て県会議員になり、民権活動に参加した。長男善兵衛は衆院議長やイタリア大使、二男善次郎は東京市長(官選)、五男久五郎は衆院議員をそれぞれ務めた。日本の政治に大きくかかわった彼らは「堀切三兄弟」として、歴史に大きく名を残している。
 
▲ページトップに戻る
 
詠帰亭